長距離移動する日の朝は普段よりも早い。アラームの音でなんとか身体を起こし、まずは5匹の猫たちに食事を準備する。自分の顔を洗うのはそれからだ。家を出るまでの残り時間を計算しながら、準備しておいた動きやすい服を着て、小さなスーツケースのキャスターをつかみ、ドアを開けてまだ眠っている街を歩き出す。
私はこれから、遠い故郷に向かうところだ。でも、そこに待つ人はいない。ただ、誰も住んでいない空き家だけがある。
若い頃は、たまにしか帰らなかった。3年も行かなかったことがある。実家と疎遠にしているほうが格好いいと思い込んでいたのだ。それなのに今、月に1回は往復する日々だ。毎日暮らす家から実家までははるかに遠く、電車と飛行機とバスを乗り継いでたっぷり半日以上はかかる。朝早く出発しても、着いたらもう午後の遅い時間になっている。
家のドアに鍵を差し込み、ゆっくりと回す。チリンチリンと音がするのは、父が生前、使っていた、鈴のついた鍵を使っているからだ。ゆっくりと開けると、むっとする空気が一気に流れ出てくる。ただいま、と私は小さな声でつぶやいてみるけれど、返事をしてくれる人はいない。移動でヘトヘトに疲れた身体でソファに倒れ込むと、柱時計の音が響く。今、何時なんだっけ。
ある夏の日、母が倒れて救急車で運ばれた後、認知症がかなり進行していることがわかった。私は遠い場所でいつものように仕事をしており、叔母から電話を受けてそのことを知った。父親は動転して、119番ではなく叔母に助けを求めたのだという。
母は入院することになり、この家で父がひとりで暮らすことになった。いや、正確には、父と4匹の猫たちが、だ。
ひとりで大丈夫だからと、父は、生活を専門家に手助けしてもらおうという私の提案を突っぱねた。頑固な人だったから。それにその時は、父も私も、母がすぐに退院してくると思っていたのだ。心配かけたね、もう元気だよ、と笑顔で手を振りながら。だから私は、遠い自分の場所に帰り、普段通りに仕事をして、生活していた。
しかし母の退院の予定はなかなか立たず、じりじりと日々が過ぎていった。そんなある日、父は自分の部屋で、いつの間にか死んでいたのだ。ベッドの脇で倒れた姿で見つかった。床につこうとした時、自分がもう目覚めることがないとは思っていなかっただろう。
自然死ですね。苦しんだ跡は見られません。眠るように亡くなられたと思います。そう告げられたのが、ほんの少しの慰めになっただけだった。それから数か月後、母は結局この家に戻ることはできず、入院先から施設に移ることになり、家だけがそこにぽつんと残された。
誰もいなくなってからこんなに往復するようになるなら、もっとふたりが元気な時に何度も帰っておけばよかった。そう自分を責めながら、家中の窓を開けて回った。こんなに窓の多い家だったのだと、毎回、同じことを思う。
窓を開け放したら、次は台所とお風呂場の蛇口を開けてゆく。定期的に水を流さなければ、配水トラップに貯められた封水はひと月で乾いてしまい、下水の臭いがしたり、虫が入り込んで来ると聞いた。私がせっせと実家に来ているのは、これも大きな理由のひとつだ。
お風呂場に入った時、大きく息を飲んだ。私の手のひらほどもある大きなクモが、古いタイルの壁に張り付いていた。乾いてしまった下水から入り込んで来たのだろうか。あちらに悪気はないのだろうけれど、怖いものは怖い。でも触ることもできない。よし、見なかったことにしよう。しばらく経って水を止めに行ったら、姿が見えなくなっていた。
夜になり、学生の頃に暮らした部屋にいると、笑っている母の声が聞こえてくるような気がする。父がちびちびと焼酎を飲みながら、新聞をめくる音がするような気がする。そのうち、お風呂に先に入っていいよ、と母が呼びにくるんじゃないか。けれど、我に返って耳を澄ましても、どこからも何も聞こえないのだ。温かかったはずの実家は、暗闇が怖い場所になってしまった。
そんな家でも、こうやって毎月、帰省する交通費がかかっている。自分の家を不在にする間、引き取った猫達のお世話をしてくれるキャットシッター代もかさむ。しかも、帰省のたびに仕事の都合をつけなければならず、生活のリズムも崩れてきた。
来月もやっぱりここに来なくちゃいけないのかな。私はもう、次のスケジュールのやり繰りを考え始めていた。
写真提供:如月サラさん
プロフィール如月サラ
エディター・エッセイスト。出版社で女性誌の編集者を経て、50歳で大学院進学を機に独立。中年期女性のアイデンティティについて研究しながら執筆活動を開始する。父親の突然の孤独死から始まった、空き家、相続などの体験をまとめた書籍『父がひとりで死んでいた』(日経BP)が話題に。現在も東京と実家を往復しながら空き家の維持管理を行っている。